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http://www.gemag.com.cn/gemag/new/Article_content.asp?D_ID=5680
李連傑はこの時代の最も知られた顔だが、しかし実際彼と話をしたら、
目の前の満面の笑みをたたえたこの人の事を何も知らないと気付くだろう。
李連傑の経歴を理解することはできても、
永遠に彼の内心を理解することはできないかもしれない。
彼は話をする時絶え間なく笑っている。
しかしこのようにいつも笑っているのに、自分の性格を「少し自閉的と言える」と言う。
笑顔でいることは役者としての長年の習慣なのかもしれない。
しかし会話を仕切るのは彼の笑顔ではない。
彼独自のまろやかで潤いがある知恵だ。
このような李連傑は明らかに人々の心の中の李連傑と大変な違いがある。
彼は自分の思いに関わらず、26年ずっと中国人の心の中の伝統の英雄を演じている。
しかしスクリーンの李連傑はストーリの中の人物であって、本当の彼ではない。
李連傑が本当の自分を演じ始める時、彼の内心の真実の「良心」は、
かえって人々の最も難しい理解のものとなった。
慈善事業に対し長期にわたる関心を持ってもらうため、
最後の武術映画を完成させた後も、李連傑は引き続き映画を撮影する。
彼は面倒を嫌がらないで1基金のすべてに関して、自分の人生に対する理解を述べるが、
しかし本当に彼を理解する人は多くない。
10年の思考と悟りを経て、李連杰はかつての中国の「強い」象徴から
「良い」象徴へと脱皮したのだ。
映画は仕事(と割り切る)・・・・というのは、りんちぇにとって喜ばしい事なのかもね。
きっと演じる事が好きなはずのりんちぇは、武人としてそして映画人としての
大きな役目やこだわりを気にせず、映画産業の中の一つの歯車としての役者を
これからは何も気負わず、背負わず、好きな仕事として楽しめる。
ドラゴンキングダムの孫悟空も、ハムナプトラの悪役も、生き生きとしてて
演じる事を楽しんでいるのが伝わってくるもん。
ヒーロー役じゃなくたっていいんだ。
1基金と言う人生の新たな指針ができ、SPIRITを撮り終え、でもそれは決して
映画人生の終わりではない。
だってりんちぇは演じる事や現場が好きだと思うから。
好きな役者という仕事の決められた枠を、りんちぇは自分で外したんだと思う。
だから考えようによっては、それは新しい映画人生の始まりなのかも。
こういう役はSPIRIT以前ならオファーがきても引き受けなかったんじゃないかな、SPIRITを撮ったことによって今まで背負っていたいろんなものを降ろし、うまく肩の力が抜けてるんじゃないかな、それで演じることがより楽しくなったんじゃないかな、ってね。
これからどんな顔をみせてくれるのか、とても楽しみですね。
アメリカでのインタビューでも、
「今までだったら断ってたような」「やったことのないような」
と言ってましたよ。
個人的には是非とも、「フツーの人」の役を見せて頂きたいです。
スクリーンのリンチェイも壱基金のリンチェイも丸ごと大好き。これから映画が少なくなるから寂しいなと思ってたけど、始まりなのね。
Pさんいつも新しい情報と訳ありがとう!
これはあくまでプルー流希望的見解ですから・・・(急に弱気)
捉え方次第では、ビジネスとしての気楽さってあるんじゃ
ないかな・・・
それにほら!
りんちぇも両面から見る事の大切さを言ってますもんね。
いいように捉えて、寂しさなんて吹き飛ばしてしまいませうー!
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