ヨーロッパ商業会議所に募金活動で参加
5月25日)
1基金杯開催
13人の芸能人仲間が集まってくれました。
私の知ってるのはウー・ジンだけだわ。
被災地区から戻り、改めて450万元分のテントをシンガポールから運んだそう。
(やっぱり今の拠点はシンガポールなのかな?)
「被災地区に行く前、ニュースを収集し最も急要とする物資を検討し、
2000箱の飲用水、10トンの米、1000枚の毛布などを運んだけど、
被災地区で差し迫った必要品はテントだった。
テント不足のため、多くの人はかなり粗末なビニールハウスの中で野宿するしか
ないんだ。」
りんちぇは赤い目をして心配そうに言った。
役に立った事は、ごみの袋を持って行ったこと。
初めはそれらを1基金の仕入れ計画に入れた時、多くの人が不思議に感じたそう。
100万元を寄付したと報道されてるが、それは1基金からの物と繰り返し語っています。
「僕が津波で助かった後、1基金を始めるにあたり、沢山の芸能界の仲間の協力があった。
黄健翔は、夢舟スターのチーム全員で1基金のボランティアをしたいと申し出てくれた。
ただ1つだけ要求があったんだ。
具体的な寄付額を公表するのは間違いだということ。
僕達の考えは一致していて、優しさの気持ちに大小はなく、1元と100万元の寄付には
数の違いはあっても本質は同じ物なんだ。
スターの寄付のランキングはとてもつまらない物だと感じてる。
だからいかなる1基金の所属スターのボランティアも、僕自身の寄付額も、公表することはありえない。」
このことは15日の会見時から繰り返し話してるりんちぇのポリシーでありメッセージです。
金額の大きさと愛の気持ちは関係ないし、慈善が競争になって欲しくない、そーゆーこと。
何度も同じこと聞かないで下さいましね。
それ以外に、李連傑が救済のために1年引退する、このニュースに関しては、
「去年すでに、今年の仕事の重点を1基金のプロジェクトの建設に置くことにしたから、
もし映画の撮影と重なる場合は、前者を優先する、と言ってるよ。」
と答えてます。
「1年経った1基金にとって、今年は重要な年になるから専念しようと思ってたんだ。」
確か「功夫の王」のプロモで発言してましたよね。
被災地入りした時にその話題が出たから、騒ぎになっちゃったのよね。
映像
http://v.sohu.com/20080526/n257083983.shtml
http://v.sohu.com/20080526/n257082938.shtml
記事
http://yule.sohu.com/20080526/n257091635.shtml
映画で見るより疲れてるね、そんな声を気にもとめないで、「みんなに会えて嬉しいよ。」
と笑顔で答えたりんちぇ。
きっとあの最高の笑顔なんだろうなー。
また、1年休んで1基金に専念するより、1本映画に出てその報酬を寄付した方が
いいのでは、という質問に対して、りんちぇはこう答えてる。
「これは持久戦です。被災地区の再建活動には数年間が必要で、みんなが関心を持って
支持することを望みます。
1基金の未来の発展のために道路を舗装するのが目的だから、目の前の経済効果で
評価することはできません。」
現地入りした時は心配で仕方なかったけど、被災された方々の生の声を聞き、
困難な作業をしたことは(語弊があるかもしれませんが)、
りんちぇにとっていい経験になったと思います。
これから益々大きくなるだろう1基金、ましてや基金が独り立ちしたらオブザーバーに
なるつもり、というのであれば尚更、現場を経験したりんちぇならではの意見が
きっと大切になるでしょうから。
後から思い出したことを、記しておこっと。
今後は、老人、身体の不自由な人、子供の支援に力を入れていくそう。
確かツィーイーが電話でりんちぇと孤児の話をしたんじゃないかしら。
今後作られる学校や老人ホームやケアセンターはみんな「1基金の家」
と名づけられるんだって。
一つの家族だから「家」なんだね・・・温かくていい名前!
成都赤十字に到着した後、次々と集まるボランティアを目にし、泣いたりんちぇ。
ボランティアたちと抱き合い、「ありがとう、ありがとう」と呟いてたのよね。
嬉しかったのはある記事で「李連杰の1年の引退は被災地区にとっての幸せ、
映画界の損失」とあったこと。
題名だけ見ても、どちらからも必要とされてるのね・・・となりますが、中身はもっと
深い物でした。
「人々に心の支えを与えることができるのが、本当に愛される俳優だ。
李連杰が、一年間映画を撮らないのは、映画より人々の助けになると思うことを
見つけたからだ。
良い俳優という評価は、演技力や容貌だけでなく、人々にどれだけ助けを与えているか
という点にもある。
李連杰は良い俳優だ。」
1年休むことに関しては、「1本断るだけでいくらの損失か」と書いてある物が多い中、
りんちぇの愛情の示し方をよーく理解しているこの記者さんに、拍手!
指揮部設立
会見があったけど、再建には何年もかかるかも知れない、引き続きケアが必要だって。
「愛は一瞬の物ではなく持続的なものであるべきで、臨時の指揮部の創立は、
段階ごとに重点がある、場合によっては毎週進展があるためだ。
慈善事業は一つの持続的な仕事です。」
一時的な救援ではなく、被災された方々の生活が元のように動き出すまで
お力を貸しますよ、ということよね。
これは1基金の初めての実体を持った活動になります。
この時、年内は映画の仕事はしないんですか?と聞かれ、「元からそう決めてたよ」
と答えたから、大変。
その後騒ぎになっちゃいました。
また、「僕は永遠に自分の寄付額を言うことはありえない。
どうして映画のギャラを寄付しないのかと聞かれるが、それは僕の理想ではない。
僕は1基金の基盤を育てたい、それは百年かかるかもしれないが、続けるしかないんだ。」との発言も。
たった1年の間に1基金は64万人のサポートを持つ民間の慈善の機関になりました。
また1基金はハーバード大学の教授の研究課題にもなっています。
映像
http://v.sohu.com/20080521/n256991966.shtml
記事
http://yule.sohu.com/20080522/n257004675.shtml
江油
前の晩に急遽ここに向かうことが決まった、被害の大きい地区、江油。
大きなテントで急ごしらえの学校を作り、子供達に授業を再開させた。
それは「1基金の家」と名づけられ、今後も増えていくみたい。
また、現地で触れた子供の無邪気さに、元気をもらったとも言ってたっけ。
この日から全国で3日間追悼のための黙祷があって、1基金のボランティアと共に黙祷したりんちぇ。
終わった後、しばし言葉が出てこなかった。涙をこらえ、振り絞るように話し出すりんちぇ。
でもその目は段々と力強いものに変わって行き、自分を、そしてスタッフを鼓舞するような、
ううん、きっと大惨事に見舞われた中国全体を力づける、そんな頼れるリーダーとしての
覇気を感じさせる、大きな愛を感じさせる「加油!」が最後には聞けました。
この時のりんちぇは本当に男らしかった。すばらしく大きな大きな人でした。
映像
http://v.sohu.com/20080519/n256958208.shtml
記事
http://yule.sohu.com/20080520/n256961098.shtml
什ホウ市
時間の経過は分からないのだけど、この日は2ヶ所に物資を届けたのだと思う。
一つは赤十字(成都?)に。
思いがけず騒ぎが起きてしまい、一時は警察も出動したよう。
「騒ぎを起こして申し訳ない、でも僕をボランティアの一人と思って欲しい。」と言ってる。
もう1ヶ所は、成都から4時間もかかる華鎮という所。
りんちぇ自ら45キロもあるテントを何往復も運び、その様子に感動した取材のカメラマンさん達も、機材を下に置き手伝ってくれたのよね。
お陰で随分と早く運び込みも終わり、りんちぇも感激してたよう。
大変な重労働の1日だったけど、気持ちはみんな一つ。よかったね、りんちぇ!
映像
http://video.sina.com.cn/ent/s/m/2008-05-23/235316321.shtml
http://v.sohu.com/20080523/n257027560.shtml
記事
http://yule.sohu.com/20080518/n256936701.shtml
http://yule.sohu.com/20080519/n256937193.shtml
成都入り、記者会見
物資と監査役と心理カウンセラーとともに、夕刻現地入りしたりんちぇ。
会見後、夜中まで会議だったよう。
被災地の現場に行くのは初めてではないんだってね。
13歳のまだ少年だった頃、唐山の大地震現場を華国鋒主席と慰問して、
地面の上で寝たりレンガの破片を運ぶのを手伝っているんだってね。
会見の内容)
1基金はこの1年で、既にもう5回もの大きな自然災害と直面した。
この小さな赤ん坊(1基金)を立派な大人に成長させないとならない。
誰も孤独ではない、僕たちは人類の代表として来た。僕たちは一つの家族だ。
僕たちが来たんだ。
映像
http://ent.qq.com/a/20080517/000114.htm
記事
http://yule.sohu.com/20080517/n256920993.shtml
四川で地震発生、100万元の援助決定
この時りんちぇはシンガポールにいたのよね。
電話で話し合い、初の試みであるネット募金を始めるのだけど、
24時間内に100万元集まりました。
この最初の決定の100万元について、りんちぇ個人の寄付ではないかと言われたけど
1基金でプールしてある物と、きちんと否定してます。
そしてりんちぇはすぐにでも現地に飛んで行きたかったらしいけど
当たり前だけど止められちゃってます。
5月13日)
前線で早急に必要な物を企業との協力で調達。
女性の生理用品やごみ袋がりんちぇの意見で加わったみたい。
元は奥様の意見らしいけど。
考えたら服も紙もない状態の時、アレになったらすごい困るはず。
そうでない時は忘れているけど、女性にとっては実は生活必需品なんだと
改めて思いました。
5月14日)
飛行機会社の協力で四川ー成都間のフライト決定
5月15日)
記者会見
この会見時のりんちぇは痛々しかった。
明らかに寝てない顔。悲壮な表情に涙まで湛えて。
この時、被災地入りを表明。まだ余震の続く現地。
りんちぇのことが心配で不安でたまらなかった。
1基金の1陣がこの日現地入りしてます。
映像
http://v.sohu.com/20080516/n256901254.shtml
記事
http://yule.sohu.com/20080515/n256878594.shtml
どこから始まりなのか・・・本当のそれはりんちぇの誕生からかもしれない。
でも大きな転機となるのは、やはりスマトラ島沖地震ではないでしょうか。
2004年、りんちぇはバカンスで、家族、友人夫婦らとモルジブに滞在中、
津波に遭います。(向左くんの両親とフォーシーズンにて)
九死に一生を得たりんちぇは、その晩眠らずに考えたそうです。
そして「地球に恩返しをするときが来た」と思う。
この「気づき」が、フツーじゃない。
「大切に生きよう、役に立つ生き方がしたい」・・・凡人の私が思いつくのは
このあたりまでです。
神様からのメッセージを(無意識に)キャッチできる人なんだ、と、この言葉を聞いて
思いました。
そしてりんちぇは動き出します。
実は2年ほど前、香港(修正・アメリカ)で小さいながらも基金(アウェイクニング・ブッダ)を
設立したみたい。
でも気持ちの上で吹っ切れない部分があったらしく、きちんとした形にはならなかったよう。
今回も1基金設立にあたり、冷や水を掛けられるような事もあったという。
勿論、応援や励ましも沢山あったけどねって。
とにかくりんちぇは、確固たる意思の元、2007年4月19日に北京で1基金を
設立しました。(発足は2006年12月8日)
追記)
設立は4月17日、式典が4月19日(娘さんのお誕生日らしい)
前身は2005年、アメリカ。
私が過去の映画作品ではなく、今現在のリアルりんちぇを見たのが、
その夏の1基金杯でした。
坊主頭に青シャツの印象しか、恥ずかしながら残ってません。
去年は新作を3本も撮影してたので、私、そちらの話題に夢中だったの。
パソコンを手に入れたばかりで、情報を得るのに必死で。
りんちぇのキャラもよくわかってなかった。
だから1基金関連ニュースも、「りんちぇって偉いのねー」
・・・その程度の感想が正直な所でした。
「仏」なストラップ
りんちぇの1基金への特別な思いを少しは理解できたのが去年12月。
ちょうどその1年前の2006年12月、「黄金甲」プレミアに出席したりんちぇは
1基金について話しました。
ある方にその時の訳文を読ませて頂いて。
ケータイに夜送られてきたその訳文を読んだ時のあの気持ち。
あの必死なりんちぇの姿と自分の心臓の鼓動とで、息が詰まるような気がした。
今、思い出しながらまた涙ぐんでる。
りんちぇの心の叫び・・・そんな風に感じたの。
映像
http://v.sohu.com/20061215/n247051578.shtml
それから私は1基金がとても気になり出しました。
1基金に全身全霊で取り組んでいるりんちぇが気になる。
りんちぇが全てを注ぎ込んでいる1基金が、どう育っていくのか気になる。
私の気持ちが変化した頃、ちょうど去年から今年にかけて、りんちぇは1基金の宣伝で
毎日のようにメディアに出てました。
映画の仕事と掛け持ちで、文字通り寝る間を惜しんで。
あの時、りんちぇの言動を手書きのメモに残して、頭整理したりしたっけ。
とにかく把握したくてね。
被災地で頑張っていたりんちぇが、どうやら今日、無事戻ってきたみたいです、たぶん。
怪我もなくひと安心です。
この5・12四川大地震で、りんちぇは今まで以上にその命を、魂を注ぎ込んで
活動しています。
あの日から家に帰ることもなく進み続けるりんちぇの言動やエピソードを
残していければと思います。
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